僕のバイト先の1つはビジネスホテルの1階にあるカフェ・バーで、土日祝日は宿泊客の朝食の時間だけ店を開ける。朝10時には閉店してしまう、不思議な店である。 お客さんのほとんどは朝ごはんを食べに来る宿泊客で、外国の人もたくさんいる。日本人だって、わざわざ泊まるのだから東京圏外の人も多いのだろう。 働く側にとって店は日常の一部だ。もちろん毎日細かい状況は違うけれど、それも「日常」の範囲内。いま多少手を抜いても別の日に頑張ればそれでいいかな、と思ってしまうときがある。でもふっと客の立場に立ってみると、宿泊という(程度の差はあれ)非日常的な状況にいるわけで、自分は彼らの「旅行」体験の一部を構成するわけだ。少なくとも僕にとって旅行はお金と時間のかかる大事なイベントだから、彼らにも少しでも気持ち良い体験をしてもらうために、手を抜いてはいけないな、と思うのである。 これは今のバイト先に限った話ではない。前は東京駅の新幹線改札の中で働いていて、当然お客さんのほとんどは旅行客だった 1) 。家族旅行で新幹線に乗るときにカフェの店員の態度が良かったら、旅行全体の印象もちょっと良くなるかもしれない。逆に悪くすることもできるかもしれない。 もっと身近な例。大学内を観光している人にとって、学生である僕は「観光」の対象である。彼らの写真に僕たちは必然的に映り込んでいて、例えば僕が黄色い全身タイツを着てスキップしながら映り込めば、彼らのこの大学の印象は少なからず影響を受けるはずだ。これは大学に限る必要もなくて、観光客がいるところならどこでも成り立つ話だ。観光客の「非日常」体験を我々が構成するのである。外国人旅行者の「日本」の印象を僕たち一人ひとりが決めている、と言っても過言ではないだろう。 街中を歩くとき、観光客にどんな印象を与えたいか考えながら表情を作ったりするのは少し楽しい 2) 。 1) 実は新幹線の清掃の人、みたいな例外が若干ある 2) 例えば安田講堂の前を本を読みながら猫背で横切ってみたり。これが「東大生」のイメージでしょ、きっと もしかすると、僕たちが経験する「非日常」も多くが他者の「日常」で構成されているのかもしれない。上に書いた通り、行先がどこであれ旅行は現地の人の日常で構成されているし、ライブ・コンサートもアーティストにとっては日常の一部かもしれない。もっと...