スキップしてメイン コンテンツに移動

2019年の読書記録

2019年に読んだ本

覚えている範囲で読んだ本・読みかけた本・Audibleで聴いた本をリストアップしてみる。
意外と読んだらしい。
凡例:▶通読した本 / ▷通読してない本

▶『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー
-その場では衝撃を受けたというか、印象的だったと思っていたんだけど、いま思い出そうとしても内容がハッキリとは思い出せない...1984年と混ざってしまっている

▶『最高の雑談術 ~乱談のセレンディピティ~』外山滋比古
-間違いなく買ったんだけど、読んだのか思い出せない。たぶん読んだ。笑

▶『負けない力』橋本治
-友達に借りて読んだ。目を通した、という感じだけど、とても好き
-僕は勝つことより負けないことを大事にしてるな、と痛感している

▷『ケンブリッジ式 経済学ユーザーズガイド: 経済学の95%はただの常識にすぎない』ハジュン・チャン
-正直内容は覚えていないけど、重すぎずスッキリと読めたような気がする
-もしかしたら途中までしか読んでいないかもしれない。通読してない気がしてきた

▷『ガイドツアー 複雑系の世界: サンタフェ研究所講義ノートから』メラニー・ミッチェル
-複雑系に興味を持ったけど、量が多かったし時間が足りなくて読み切れなかった。たしか最初の方と最後の章だけ読んだ気がする

▶『心と社会を科学する』唐沢かおり・戸田山和久
-唐沢先生とお話しする時間をつくってもらったことがあり、そのときに読んだ
-読んでよかったけど、正直パッとしなかった。たいして勉強していないが心理学を専門にしたいとは思えなかった

▶『若きウェルテルの悩み』ゲーテ
-ドイツ研修中に、東大のゲーテ研究の有名な先生のガイド付きでゲーテ博物館を見学する機会があったので、それに向けて読んだ
-うじうじしている感じが好きだった気がする

▶『妻は他人 だから夫婦は面白い』さわぐち けいすけ
-人に勧められて読んだ。マンガは滅多に読まないので、めずらしい

▶『なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエル
-サークルの先輩に勧めてもらって読んだ本
-「意味の場」の考え方がとても便利というか、好き

▶『複雑ネットワーク―基礎から応用まで』増田直紀・今野紀雄
-複雑ネットワークの研究に興味を持っていたときに読んだ
-細かく数式を追うことは放棄してとりあえず最初から最後まで目を通した

▶『Homo Deus: A Brief History of Tomorrow』Yuval Noah Harari
*『ホモ・デウス 上/下: テクノロジーとサピエンスの未来』の英語版
-面白くはあったけれど、大筋が新鮮だったり面白いわけではなかった気がする
-社会に関する俗っぽい考え方を、学者の言葉で丁寧に知的に書いてある、という印象

▷『生命とは何か―複雑系生命科学へ』金子邦彦
-10月に新しく『普遍生物学: 物理に宿る生命、生命の紡ぐ物理』(金子邦彦)が出版された。10年分くらいの研究成果で更新されている(らしい)ので、今から読むなら新しい方が良さそう
-古いものを75%くらい読んだところで新しい方を買ったが、読む時間がとれないまま年越しになった...

▶『Understanding Japan: A Cultural History』Mark J. Ravina, The Great Courses
-日本の歴史・文化を外国の人が外国の人向けに説明している本(オーディオブックで、紙の原著とかがあるのかはわからない)。日本の対外関係を軸にまとめられていて、面白かった

▷『サンタクロースの大旅行』葛野浩昭
-アカペラの活動の中でクリスマス・サンタクロースについて調べていて読んだ本(なぜ)
-半分くらい読んだ。様々な文化が混ざり、色々な人の企てで現在の「サンタクロース」像が形成されていく過程が書かれていて、とても面白かった

▶『The Selfish Gene』Richard Dawkins
*『利己的な遺伝子』の英語版
-なんとなくずっとタイトルを知っていたけど読んだことがなくて、読んでみた
-思っていたより専門書の雰囲気があって、しかも英語版にしてしまったので理解度は60-70%くらいかもしれない。でも言いたいことは掴んだと思っている
-言い方がいちいち攻撃的だなと感じることはあったけど、態度はどちらかと言えば好きだった

▷『The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined』Steven Pinker
*『暴力の人類史 上』の英語版。実は日本語版を図書館で借りたのだが紙の本の分厚さに圧倒されてしまい、オーディオブックに切り替えた
-読み途中。Audibleで36時間超なので、まだまだかかりそう(Homo Deusは14時間くらい)
-今のところ日本の話はあんまり出てこない、邦訳は「暴力の西洋史」とかにした方が良かったんじゃないのかな

さて、2020年は本を読めるでしょうか。

令和元年12月31日(火)

このブログの人気の投稿

Interpretation des Satzes "Lies dich glücklich!" ("Lies dich glücklich!"の意味)

Eine meiner Freunde hat mich gefragt, was der Satz "Lies dich glücklich!" bedeutet. Ich hatte sofort keine Ahnung davon. Später habe ich es im Wörterbuch und Internet nachgeschlagen, und jetzt denke ich, dass der Satz heißt, "Lies und mach dich glücklich (dadurch)!". Wenn Sie kennen, bitte zeigen Sie mir, was der Satz bedeutet! Es hilft mir sehr. 友達に"Lies dich glücklich!"というフレーズの意味を聞かれて、その場では答えられなかったのだが、気になって辞書やインターネットを調べてみた。"Kauf dich glücklich!"という表現も見つかった。sich(4) lesenという動詞はあるがsich kaufenは見つからなかったので不思議だなと思っていたが、少し経って、どうも"Mach dich glücklich!"に似ているような気がしてきた。これなら言えそうである。machenの部分をもじってkaufenやらlesenにして、「本を読んで幸せになろう!」と言っているのかな、と解釈した。 もし答えを知っている人がいたら教えてください。 令和2年10月29日(木)

なぜ社会は存在しないのか

―あらまし― 最近僕は「社会」を「世界中の人間を包摂してかつ各個人と相互作用するなにか」と定義していて、その存在を信じている人々が「社会人」だと思っている。残念ながら僕は社会人ではない、つまり「社会」の存在が信じられない。それは ①すべてを包摂する概念は認識できない ②「社会」は複雑すぎて個人と相互作用できない ように思えるからである。 台風や季節の変わり目だからか、調子が良くない。やるべきこと・やりたいことはいくらでもあるが、朝起きられない、不安で動悸がして何も手につかない、というわけであまり進まず。他人から見ると怠けているように見えるのだろう。 世の中の多くの人と自分の間で、感覚があまりにも違うように感じることが多い。当事者支援とか当事者研究関連のトピックに興味を持つのは、そういう「周囲」と「自分」のずれに共感するところがあるからだと思う。 ここ数ヶ月(もっと昔からかもしれないし、最近のことかもしれない)、自分が「社会」に属しきれていないという感覚を強く持つようになった。調子が悪くなるとこの感覚が頭(実は体も)をぐるぐるして、色々なことを考える。「社会」について考えることを書いてみることにする。 僕にとっての「社会」 ここで前提として言葉遣い 1) を明確にしよう。ただしこれだけでA4何ページか文章を書けそうだから深入りは避けます。 頻繁に登場する「社会」という言葉は結構厄介で、色々な使い方がある。しかも僕と同じ用法でこの言葉を使う人は多くないと思う 2) 。これがよく勘違いや噛み合わない議論のもとになる。さて、僕は 社会とは、世界中の人間を包摂してかつ各個人と相互作用するなにか だと思っている。それはシステムと言えるかもしれないし、場と言えるかもしれない。細かいところは人によって捉え方が違うだろうだけど、上の定義くらい抽象化すればある程度一般性があるのではないか。 ちなみに、似た使い方をする言葉として「 現代 」もあると思う。「現代」は ―ここでは時代区分の話をしてるわけではないことに注意― だいたい「社会」と似たものだと思う。ただ「現代」の方が時間的な領域感が強くて、それとの対比で「社会」は空間的な領域、という雰囲気が大きいのかなと思う。直近数十年が「現代」であるのに対して、太陽系内くらいの宇宙空間が「社会」...

「無批判的」であること

批判的世の中の居心地悪さ 世の中では「批判的思考」がもてはやされている。我々は学校でも職場でも批判的であることを求められる。私たち全員が十分に批判的な態度を身に着けている、と言うと色々な人に怒られそうだが、少なくとも僕が出会う人たちは、多かれ少なかれ「疑う」ことを知っていて、その意味で程度の差はあれ批判的だと感じる。 これは常に言われることだが、何においてもバランスが大切である。肉ばかり、野菜ばかり、米ばかりというのは良くないらしい。同じように、批判ばかりというのも居心地が悪いな、とよく感じる。生活する中では、批判的にならず、むしろ相手の言葉を文字通りに―いわば無批判に―受け容れることが大切なんじゃないかなあ、と感じる場面がたくさんある。というわけでここでは「無批判的であること」について、思うことを書いてみる。 批判的であること そもそも批判的ってどういうことなのだろう。 Wikipedia 『 批判的思考 』 (2020/11/27閲覧) には (1) 、「批判」という言葉の意味について、次のように書いてあった: 批判という言葉は反対する、受け入れない、などのイメージから否定や非難と同義で用いられるケースが存在するが、批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指し、客観的把握をベースとした正確な理解が必要である。 なるほど、僕の直観に照らして違和感のない記述なので、信用することにする (2) 。そして批判的思考とは あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法である とのことである (3) 。これを読んで初めて知ったが、批判的思考は問題解決のための思考方法らしい。 さて、ここで僕の中の違和感の正体があっけなく言語化されてしまった。 問題解決が目的ではない場面で批判的になるのはどうなの 、ということである。以上、話は終わり。...というのも悔しいから、批判的でないことについて少し考えてみる。 (1) こうやってすぐにWikipediaに頼る姿勢は批判的とは言えないのだろう (2) 信用と言うと少し語弊があるだろう。正しい情報として信用するのではなく、僕の感覚的な理解を言語的に表現したものとして適切だと認める、ということである (3) 「あらゆる」物事の、というのは引っかかるところである ...