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2024-10-18 in Potsdam & Berlin(ドイツ)

今日のハイライトはBerliner Philharmonieデビュー。



朝ごはんには、たしか「秋のパン」みたいな名前で売っていたものを食べた。レンズ豆がなんとかって書いてあった気がするが、記憶も怪しいし別に豆がそのまま入っているわけでもなかった。


朝、月がとても明るかった。


昼ごはん。der Klops (pl. die Klopse)というのが肉団子のことらしい。肉団子メインかと思いきや7割ジャガイモだった。


ベルリンに向かう。この時点でコンサートのチケットは買っていなかった。というのも、ネットでは空席があったので、現地・直前なら安くなるかもしれない、という期待をしていたから。

Zoologischer Gartenで地下鉄U2に乗り換える。

Potsdamer Platz(ポツダム広場)駅に到着。



実は、今日はベルリンに行かない方がよい日だった。昨日の夜から今日にかけてアメリカのバイデン大統領がBerlinに来ていて、そのせいで厳戒態勢になっていて、街の一部は封鎖されていたし、鉄道のダイヤもめちゃくちゃだったのである。普段からちょっと信用できないドイツの鉄道が事前に「信用しないでください(意訳)」と言っているのだから、とんでもないことになるのでは、みたいな不安が周りの人から伝わってきた。ような気がする。

しかし僕たちがBerlinに着く頃にはBidenがBerlinを離れようとしていたらしく(あとから知った)、思ったよりも困らなかった。写真はBidenが宿泊したはずのリッツ・カールトンホテル。今日Berlinに行くと話した人に「Bidenによろしく」と言われていたのだが、約束は果たせなかった。


封鎖も検問もなくBerliner Philharmonieへ。

ブログを書くためにあらためて調べて、建物の名前は"Berliner Philharmonie"ないし"Philharmonie Berlin"で、オーケストラの名前は"Berliner Philharmoniker"だということがわかった。そして"Berliner"は形容詞なのだが語尾の格変化がないらしい。そもそも形容詞なのに(街の名前だから当たり前ではあるが)頭を大文字にするし、普通の文法があてはまると期待したのが愚かだった気もする。

僕は30歳以下向けのCrassic Cardsというサービスに入って、アプリでチケットを買った。年会費(金額は年齢と同じ:18歳なら18ユーロ/年)を払うと、Berlinのいくつかの施設のイベントのチケットを格安で買えるというもの。


なんとなくそのまま中に入った。


今日のコンサートはおそらく少し変わり種のイベントで(だからチケットが残っていたのか?)、たぶんAusklangというシリーズのもの。普通よりは短いホールでのコンサートのあとに、ホワイエで飲み物を片手にトークセッションとミニコンサートを聴ける、という企画。

ホワイエにはピアノが用意されていた。

せっかくなので(お金を払って)バーで飲み物をもらってみる。ノンアルコールのスパークリングワイン。美味しかった。


ホールでのコンサート。安いチケットで、後ろから観る形。やはり音響的には前に座りたくなった。


ホワイエはこんな感じに、少しクラブを意識したような雰囲気?になっていた。


こういうとき、張り切ってしまいがち。最前列を陣取ってしまった。さっきまでホールでビアノを弾いていた人とコンサートマスターが2m前で演奏してるのすごくない?ちなみに、このタイミングの飲み物代がチケット代に入っていて、空腹なのにスパークリングワインを頼んでしまった。美味しかった。

終わったあと、電車が意外とタイトで慌てて帰る。


Potsdamにて。月がやたらと明るい。


夕方以降、ノンアルコールのスパークリングワインとスパークリングワインしかお腹にいれないまま23時になってしまい、お腹がすいたのでインスタントフードに頼る。



美味しかった。豆腐熱っ、という感覚が久しぶりだった。

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