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2024-11-02 in Bonn & Köln

今日は少し足を延ばしてBonnに行くことになった。写真はベートーヴェンが生まれた家の中庭。初めてドイツに来たときに2週間強過ごした街なので、行く前に地図を見ているだけで色々なことが思い出されて、かなりのハイテンションで臨む。




Köln Hbf(中央駅)から30分程度電車に乗ると、Bonn Hbfに着く。中央駅から旧市街に向かう道から、中央駅を見たところ。たしか僕がいた頃(7年前!)にはこのあたりで派手に工事をしていたのだが、どうやら中央駅の地下からこちら側につながる駅ビルを兼ねたような地下通路ができたらしい。昔はこのあたりにNordseeがあった気がしたのだが、見当たらなかった。写真を撮っている両側の建物も新しいのかもしれない。


昔ケーキを食べた小さいカフェに行きたかったのだが、2時間くらい地図やストリートビューを見ても見つけられず、現地でも見つけられなかったので、Marktplatzにあるお店(Café Konditorei Müller-Langhardt)へ。少し甘いチーズクリームのケーキ。おいしかった。これが朝ごはん。


Marktplatzの近くにベートーヴェンの生家があり、記念館になっている。実は行ったことがなかったので、初挑戦。ここも工事をしていたような記憶もあって、通りの反対にあるチケット売り場兼ミュージアムショップには「2020」と書いてあったので、少なくともそこは新しくなったのだろう。


決して広くはないのだが、パネル展示の文章量が多い(上にドイツ語を読むのには時間がかかる)ので、だいぶ見ごたえがあった。18世紀から19世紀を生きた人だが、このあたりがフランスに占領されたり社会の変化が大きかった時期で、歴史の勉強にもなった。


冒頭の中庭の写真。


このくまさんに見覚えはないだろうか?そう、ボン土産といえば、HARIBOである。BonnのHans Riegelさんが創業したのでHARIBO。なんと安直な名前だろう。それが世界的に有名なドイツを代表するものになったのだから、すごい話だ。ベルリンにもHARIBOショップがあるのは秘密である。


ボン大学の建物。



完全に懐かしさだけで訪ねたDöner Kebab(ケバブ)の店。おそらく、別に有名店でもなんでもない。自分が2017年に何度か食べに来たから懐かしい、というだけで、店の名前も知らないのだが、なんとなく場所を覚えていた。店内がきれいになってはいたが、客席の間取りが少し特徴的なので、前に来た店で間違いないだろう。コロナもあったからかお店の入れ替わりも多い印象で、営業を続けているということは少なくとも地元では受け入れられている店なのだと思う。


これはSchwarma Teller(シュワルマ プレート)。


こちらは友人が頼んだ(に頼ませた)Döner Teller(ドゥーナー プレート)。どうやら生地に具を挟んであるのがSchwarmaで、肉と記事が別になっているのがDönerらしい。

どちらも予想外に辛かったが、美味しかった。ボリュームを考えるとリーズナブルな値段で、外食したいときに重宝した。Potsdamにもこういうのがあるといいんだけど。いや、あるけど入っていないだけな気もする。


Universität / Markt駅から市電に乗る。ボンやケルンでは地下鉄と路面電車の区別がなく、地下にある駅には"U"の看板が出ている。伝わらない話だが、乗ったのは66系統。以前来たときにはたしか62系統か66系統で街中とホテルの間を行き来していたので、ドンピシャで懐かしい路線でかなりテンションが上がった。この電車のぼろい感じとか、変わっていない。


30分電車に乗り、Königswinterへ。2017年に引率の先生に連れてきてもらい、2019年にはたしかケルンからここまで遊びに来て、3回目。


Drachenfels(訳すなら竜の岩?)という山があり、歩くこともできるのだが、登山電車で登ることもできる。線路の歯車を使って登るアプト式で、電車はレトロでかわいい感じ。

これまで冬の寒い時期に来ていたのでガラガラだったのだが、今日はまだ寒すぎず、かなり混んでいて驚いた。Königswinter一帯が外国人にも人気のリゾートのようになっているっぽい。


山の上からライン川を見下ろすことができる。曇ってはいたが、眺めは良かった。かなり急な斜面で、短時間で300mくらい登った、という話だった気がする。写真を撮ればよかったのだが、頂上にはBurg Drachenfelsという12世紀だか13世紀だかの砦の一部が残っている。現地にはほとんど説明がなく、今まで何なのかわかっていなかったのだが、どうやらケルン選帝侯領の(おそらく南端の)境界を守る要塞だったらしい。ドイツ語Wikipediaによると、三十年戦争の頃にスウェーデンが攻めてきたりしたあたりで破壊されて、今に至るのだと思われる。3回目なのにこんなに無知だったのか、と驚かされる。


中腹には"Schloss Drachenburg"がある。写真には写っていない。これがややこしくて、「ドラッヘンフェルス城」はここを指すので、頂上の砦の名前"Burg Drachenfels"をなかなか見つけられなかった。


帰りは歩きで下山。距離と時間はたいしたことないのだが、坂がかなりきつかった。こんな道通ったっけな。


筑波山よりも高尾山よりも多く来ているDrachenfelsをあとにして、街中へ。踏切があった。



Königswinterの街の様子。ボンは全体的にそうなのだが、雰囲気が落ち着いていて、昔から続いていそうな街並みで、居心地がよい。


こちらも3回目のワイナリーPieper(ワイン屋さん、というべきか?)へ。ここも2017年に引率の先生に教えてもらい、2019年にも立ち寄ったのだが、ここの"Drachenblut"(竜の血)という赤ワインが有名らしく地球の歩き方にも載っていて、驚いた。このあたりは(僕の想像では)ライン川沿いでワインをつくれる北限のあたりで、ここでラインワインを買うことができる。ほぼ初めて飲んだお酒はここのRieslingの白ワインだった。


電車で中心街に戻る。市電の線路を横切るあたりの床に書いてあったかわいい電車のサイン。


ライン川をフェリーで渡ることもできる。いつだか忘れたが、これに乗ったこともある気がする。対岸に着いてからどうやって帰ったのか、思い出せない。


中央駅に近い大きな広場Münsterplatz付近にあった謎のオブジェ。


Münsterplatzにも移動遊園地が来ていた。そういう時期なの?

子どもがトランポリンで飛び跳ねていて楽しそうだった。


この週末から"Leuchtfest"みたいな名前のイベントをやっているらしく、街の色々なところがライトアップされていた。ベルリンでもLight festivalがあったが、それと似た感じなのだろうか。


明日はケルンに寄る時間がないので、初日に飲んで美味しかったGaffel Kölschを飲みにケルンに戻る。そこで夕食もとった。


なんとなく疲れてFrikasse(フランスの煮込み料理?)にしたら、ついているButterreisが想像以上にピラフめいたもので、思っていたよりも3倍守りに入った感じになってしまった。昨日ニシンで攻めてしまったから...。

ちょうど20:30からケルン vs ベルリンのブンデスリーガ(サッカー)の試合が始まり、テレビに中継が映されて、スポーツバーみたいな雰囲気になった。ケルンが得点したときにはみんなで机をたたいたり(ドイツ式の拍手)、なかなか珍しい経験をできた。


試合を見たかったのもあり、デザートのKaiserschmarren(カイザーシュマーレン)を注文。たしかオーストリアの方のメニューなので、ドイツのレストランで食べられるのはめずらしい、という話だった気がする。分厚いパンケーキを細かくしてあるような感じで、バニラソースとベリー系のソースがついていた。おいしい。

試合は気になりつつ、試合後の中央駅付近にはいたくなかった。ケルンが勝ったらうるさそうだし、ケルンが負けたら何が起こるかわからない。僕たちがベルリンから来たなんて口が裂けても言えない。そういうわけで、試合が終わる前に店を出ることにした。乗り継ぎが悪く市電とバスを乗り継いで、ホテルの近くのスーパーで水とケルシュの瓶を買って、宿に帰った。

この日の戦利品たち。


Pieperのワイン。右はおそらく以前にも買った白ワイン、左は噂のDrachenblut。



HARIBOグッズと、ベートーヴェンハウスで買った歓喜の歌のオルゴール。ベートーヴェンハウスのデザインの紙箱に入っていたのだが、家に帰って我慢できず箱から出してしまったので、本体(左側)と箱(右側)が別になっている。


早速カバンにHARIBOキーホールだーをつけた。ドイツ語にはGummibärchen(グミベアー)という単語がある。

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