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2024-11-24 So. (1) アムステルダムの街の様子

日中はアムステルダムを観光し、夜に鉄道でベルギーのブリュッセルに移動した。写真が多すぎるので、まずはアムステルダムの街の様子だけを載せてみる。

花市場(?)の端のあたりの様子。10年前にこの近くに泊まったので、ここの景色(花市場とスタバ)に見覚えがあり、懐かしかった。




ホテルを出発。なぜか池の中に建っているような演出になっていた。


路面電車で街中へ。


オランダにもMedia Markt(ドイツでたくさん見かける家電量販店)があるらしい。


朝焼け。


中央駅のコンコース(改札外)。


夜の電車までコインロッカーに荷物を預けることにした。ロッカーが改札内にあり、どうすればいいのかわからずしばらくソワソワしたが、結局夜に乗る電車のチケットで出入りすることができた。日本のように一度入場すると出られない(出づらい)、みたいなことはないのかもしれない。


ロックするとQRコード付きのチケットが発行されて、これが鍵代わりになるとのこと。これをなくすと悲惨なので、スマホで写真を撮っておけ、と書いてあった。


朝ごはんを食べにパンケーキ屋さんへ。JTBのブログ記事で紹介されていたチェーン。


"Forest fruit"のレモネード。正体はよくわからない。


ドリンクセットのDutch Pancakeみたいな単純なメニューにしたら、パンケーキにリンゴのコンポートみたいなものにレーズンが混ざったものの塊を載せたものが出てきた。美味しかった。パンケーキは、オランダ語ではPannenkoeken。Pfannkuchen(ドイツ語)-Pannenkoeken(オランダ語)-Pancake(英語)...似てる気がしませんか?


ついでに、美術館のロッカーに置いてあった看板。上がオランダ語、下が英語。箇条書き3点目が"Food and drinks"なのだが、オランダ語だと"Eten en drinken"。ドイツ語に直すと"Essen und Trinken"になるはず。

essen(ドイツ語)-eten(オランダ語)-eat(英語)...似てる気がしませんか?

食べる、という意味の"essen"が英語に似ていると思ったことがなかったのだが、間にオランダ語の"eten"を挟んだ途端に英語の"eat"が見えてきて、面白かった。ドイツ語のsやzがオランダ語のtになったり、反対にtがdになったりして、英語に近づいている印象があった。反対にfree(自由な)に関しては、ドイツ語では"frei"(自由な)、たぶんオランダ語では"vrij"(間違っているかも)、となっていて、ドイツ語の方が英語に近い気もした。


10年前に泊まったホテルの前を偶然通りかかって、盛り上がった。ケルンもそうだったが、前に来たときには地図上で自分がどこにいるのか把握せずに歩いていたので、断片的に景色を覚えているのだが、それがどこだったのかわからず、今回歩いていて急に知っている景色に出会うことがあった。


好きなので再パンケーキしてしまった。りんごとチーズを頼んだつもりだったのにベーコンとチーズが出てきた。


謎のベルがあって、近くを歩いていたら偶然メロディーが流れた。


オランダにはドイツと同じPfandの仕組みがあり、昨日買ったペットボトルを返して新しい水を買う、という完ぺきな計画を立てていた。スーパーにあったペットボトル回収機。...と写真を撮ってから近づいたら、画面が暗くてうんともすんとも言わない。店員さんに聞いたら「いま動いてない、他の店なら返せるよ」とのこと。完璧なんてものはない。


仕方がないので返却はあきらめて炭酸水を購入。


中央駅に戻ってきた。


中央駅にはbackwerk(ドイツでよく見かけるパン屋チェーン)があった。


オランダ?アムステルダム?名物らしい、ホットスナックの自販機。自販機と言っても裏に店員さんがいて、空になった場所には新しい商品が裏側から(手動で)補充される。


ネットで有名だと読んだ気がするvon Dobbenのコロッケを購入。


中がトロトロで美味しかった。


ホームで列車を待つ。ホームの真ん中にポイントがあるのが面白い、どういう運用なのだろう。

最後に一眼レフの写真たち。


路面電車。














観光名所、ダム広場。


中央駅前のロータリー。

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