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2024-12-15 So. (2) Chiemsee湖

Salzburgをバタバタと出発して、Prien am Chiemseeという駅で降りる。写真は船から見た湖越しのアルプス。

友人に教えてもらった小旅行先で、駅から少し歩いたところに湖があり、船に乗って島に行くと、バイエルン王国のルートヴィヒ2世(ノイシュバンシュタイン城などもこの人の城で、この王様の浪費で国が傾いたとか)が最後につくろうとして未完のまま終わった城がある。

一眼レフの写真はFlickrのアルバムにまとめてある。




とにもかくにも腹ごしらえ。駅前のパン屋に入る。だいぶローカルな感じなので多少緊張したけど、平気だった。


刻み葱入りのバター?クリームチーズ?プレッツェル。忘れてしまった。


夏には観光鉄道で船着き場まで行けるが、冬は運休。線路沿いに歩くと湖まで行ける。


着いた。


船。真ん中のドアから外にも出られる。時間が遅いからか空いている。


アルプスが見える。ブランデンブルクでは見ない景色。


目的地の島に到着。


「ようこそいらっしゃいました」


城までは意外と距離がある。時間が遅いので城に向かう人もほとんどおらず、だいぶ不安な感じの道中。馬がいた。


宮殿(ドイツ語のSchlossは城と訳されることも多いが、宮殿という方がしっくり来るケースも多い)前にありがちな、まっすぐな芝生の空間。水が引き込まれている。


反対を見ると宮殿が見える。


ここも中に入る余裕はない。中に入らないと正直この建物を大金をかけて作ろうとした理由はよくわからない。内装がすごいのだと思う。夏には気持ちいいのかもしれない。


おそらく噴水のある池だと思うのだが、保全のためか、カバーで覆われていて雰囲気がない。


宮殿から見るとこんな感じ。直線的でヨーロッパって感じ。


たぶん宮殿の裏側。一周して、船着き場に戻る。


船着き場の近くにはホテル?レストラン?もしくはただの建物?もある。天気もあったかもしれないが、どちらかというと不気味。ホラーの舞台になりそう。船が18時ごろに終わったあと、このあたりはどんな雰囲気なのだろうか?誰か住んでいるのかな?


帰りの船を待つ。


来た。


帰りは結構混んでいる。座れなかった。


船着き場まで帰り、さらに30分くらい歩いて駅まで戻った。駅の反対側の、おそらく町の様子。電車の時間があるのでここで引き返す。


Prien am Chiemsee(ヒームゼー沿いのプリーン)駅。


ミュンヘンの街中に戻り、オペラハウスの近くのレストランで夕飯。ちょっと高級店。


もちろんビール。ミュンヘンなので。ザルツブルクでも飲んだけど。どこでも飲んでるけど。


ヤギのチーズとビールソースのサラダだったと思う。


Grillhaxeという、豚のすね肉?をオーブンで焼き上げた料理。普通はだいぶヘビーなのだが、ここは客の年齢層が高めなのか、控えめなボリューム。食べやすかった。


たぶん聖母教会。


地下鉄に乗ってホテルへ戻る。古い車両だった。


スーパーで買ったティラミス?ティラミスみたいな甘味?

これでバタバタの一日が終了した。

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