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2024-12-23~30 年末休暇(3) in Potsdam & Berlin

Hamburgから帰ってきたあとはPotsdam・Berlinで過ごした。不思議なほど暖かく天気の良い日が多かった。写真は12月28日にAlexanderplatzで撮った雲越しのテレビ塔とガレリア。


2024-12-23 Mo.

写真なし。BER空港まで往復してCafe Heiderで昼ごはんを食べ、Potsdamのクリスマスマーケットに行った。

2024-12-24 Di.

クリスマスイブ。なんとポツダムのクリスマスマーケットは閉まっていて、食事できる店もほとんど開いていなかった。

午後にサンスーシ宮殿へ。天気がよかった。


家の台所の水道から水漏れしていることに気付いた。


なんと、蛇口の真ん中に穴が開いていて水が噴き出している。そんなことあるのか。布巾を巻いたりヒモを垂らしたりして応急処置をした。

2024-12-25 Mi.

ベルリン観光。お土産も見たかったし。





Volkswagenグループのミニ博物館。無料で入ることができて、Volkswagen以外の車・バイクも展示されていて、車グッズを買うこともできる。クリスマスなのに開いていて驚いた。


Ampelmann(旧東ドイツの信号のキャラクターをもとにしたお土産屋さん)の店も開いていた。いくつも店はあるが、大きめのこの店には世界の信号が設置されていて、日本のものもあった。


日本信号製。

クリスマスでスーパーは基本的に閉まっており、仕方がないので近くのスターバックスで水のペットボトルを買った。買ってから、Ampelmannでもペットボトルの水を売っている(しかも安い)ことに気付いて少し悔しかった。


行ったことのなかったCharlottenburg(シャルロッテンブルク)へ。目当ては宮殿前の広場でやっているクリスマスマーケット。駅から近いのかと思っていたが、Charlottenburg駅から15分くらい歩く場所にあった。写真のように、鎌倉の若宮大路みたいな感じになっている。


右奥の焚火で鮭を焼いて?いぶして?から、手前でほぐして、パンやジャガイモと一緒に出してくれる。僕は食べなかったがおいしそうだった。

2024-12-26 Do.

ポツダムが世界に誇る(のだと想像している)バルベリーニ美術館へ。


色の絵本。結構よかったのだが、安くなかったので買うのは見送り。


ドレスデンで買ったシュトレンを開けた。1kg。結構ボロボロする。「ドレスデン式シュトレン」と言うらしい?

2024-12-27 Fr.

家族の帰国日が迫ってきて、日曜日には店が開いていないこともあり、Berlinでお土産を見ておくことにした。


Berlinでのレストラン探しはいまだに難しい。結局散々歩いてMall of Berlinの近くにあるTerasというDöner(ケバブなど)のレストランに行ったのだが、想定外に美味しかった。店にはAngela Merkelが来店したときの写真も(たしか2回分)あり、有名店らしい。Googleの口コミが良すぎてむしろ怖かったのが、お気に入りの店になった。

2024-12-28 Sa.

お土産を買い足したかったこともあり、またBerlinへ。


雲・霧が濃すぎて太陽を直視できるときがある。全然わからないが、ベルリン中央駅近くから連邦議会の方を見たところ。うっすらとドームが見えている。


Berlin中央駅近くにあるFuturiumという科学館?博物館?へ。入館料が無料で子どもが多少走り回っても気にならないので、特に寒くて外遊びが厳しい時期には子連れにおススメ、という評判を聞いていた。

未来をテーマにしているだけあって、民主主義がどうとか、平等がどうとか、資源・環境の問題とか、そういったテーマごとに展示がありつつ、遊べる展示もある、という感じ。写真は"FAIR POLY"。MONOPOLYよりもFAIRPOLYの方が気持ちよく遊べそう。



地下鉄。きれいな車両が来た。


冒頭のAlexanderplatzの写真。


クリスマスマーケットは解体中。至るところでクリスマスマーケットの残骸を見かけて、少し幻想的で現実離れしていたクリスマスの期間が終わってただの寒くて暗い冬に引き戻されていくような、それはそれで面白い時期だった。


花火の販売が解禁されていたので、スーパーで購入。ドイツでは年越しの花火が一大イベントで、日本では考えられないような普通の打ち上げ花火(高さ45mとか)を一般市民が大量にあげるらしい。当然危ないので、花火の販売は年末の数日のみに許可されている。

さすがに勇気がなくて打ち上げ花火は変えず、置き型のものにした。高さは4m程度とのこと。どんなものだろうか。

2024-12-29

写真なし。たしかWerderというPotsdamの少し西のエリアに行き、湖に突き出た島のような部分にある古い町を観光した。水辺の景色とあわせて、雰囲気がよいことで知られていて、特に夏の晴れた日には気持ちいいはず。友人が子ども用のプレイルームがあるカフェを紹介してくれていたので、そこでブランチをして、水辺の公園で少し遊んだ。

帰りがけにはCharlottenhof駅の近くで川を渡るフェリーに乗った。Deutschlandticketで乗ることができ、所要時間はたった3分程度。しかもロープが張ってあって、それ沿いに走るだけなので、船と呼ぶのが適切なのかすらわからない。それでも川を渡ることはできて、なかなか日本では船に乗らないので、面白い経験だった。ガラガラで自分たちの乗った便には他の客がいなかったのに15分ごとに行き来していて、需要と供給が釣り合っているのかわからず、ただの公共交通機関という感じだったのも面白かった。

2024-12-30

あっという間に家族の帰国日になった。


RB22で空港へ。電車の自転車置き場はスーツケースなど大きい荷物を置くのにもとても便利。


BER(ベルリン・ブランデンブルク)空港から、乗り継ぎのフランクフルトまでは一緒に飛行機に乗る。RyanairのようなLCCはBERのターミナル2(しょぼい方)から出るのだが、ターミナル1の制限区域はお店が充実していて驚いた。ずっと探していた、比較的リアルなドイツの電車のおもちゃを発見して購入。Potsdam中央駅を通るSバーンの路線、S7のおもちゃ。

フランクフルトでは制限区域から出ずにターミナル内で夕飯を食べて家族を見送り、そのまま帰りの飛行機の搭乗ゲートに向かってBERへ帰ってきた。「BER発・フランクフルト空港経由・BER着」というトランジットをやったことになる。もう二度と経験しないと思う。

なおフランクフルトの気温が低く、行きの飛行機は滑走路の凍結で遅れ、帰りの飛行機は翼についた霜を取る作業で遅れた。しかもBERに着いてみたら、ターミナルと飛行機をつなぐ動く通路が壊れたとのことでしばらく飛行機を降りられず、結局23:30頃に空港を出ることになった。家に帰ったのは01:30近かった。

素敵な年末休暇だった。

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