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ドイツ(語圏)での食事・お店の探し方(1)

知らない街に行って食事をするためにお店を探す機会が多く、自分なりの探し方ができてきたので、メモしてみる。これが正解なのかはわからないが、おそらく他の人にも役に立つと思う。

店の種類ごとにGoogle mapに入力する検索ワード(ドイツ語・括弧の中は英語)をメモしていく。夜や日曜・祝日は閉まっている店も多いので、あわせて営業時間でフィルターをかけるとよい。

カフェ

検索ワード:Kaffee (Coffee)

こんな感じの、コーヒーを頼んで一息つけるような場所を探したいときにはKaffeeで調べることが多い。あまり席がない店も多いので、写真で店内の雰囲気を見て、座れそうなところに目星をつける。

ちなみにセルフサービスなのにカード支払いの端末でチップを聞いてくるパターンが少なくないが、たいてい小さく"Nein, Danke." (No, thank you.) みたいなボタンがあり、そこを押せば払わずに済む。もちろんチップを払って悪いことはない。

大きい街でこだわりがなければ、例えばベルリン周辺だとEinstein Cafe, Coffee Fellows, Espresso House, PRETあたりはよくみるチェーン店。もう少しあるかもしれない。

もしもCafeで検索すると、もう少し食事寄りのお店(フルサービス)が引っかかりがち。


例えばこのお店はCafe AliceというPotsdamの店で、ケーキも置いているのでカフェ利用もできるが、僕の「カフェ」へのニーズ(セルフサービス)よりはワンランク上。高すぎない食事をしたいときには、むしろ"Cafe"を探すと便利なこともある。Cafe Extrablattというチェーン店もある。


レストラン(フルサービス)

検索ワード:Brauhaus, Bräurei (brewery restaurant?)

もちろん"Restaurant"(ドイツ語でもこの綴り)で検索すればよいのだが、僕はたいていブラウハウスないしブロイライと呼ばれる、ビール屋さんとセットになっているレストランを探す。




上の2枚はケルンのPeters Brauhaus、下はPotsdamのMeierei。もちろんビールを飲むのが手っ取り早いけれど(たいてい一番安い)、他の飲み物もあるので、ビールを飲まない人・ときでも楽しむことができる。

比較的安くお腹いっぱいになることができて、かつドイツ的な料理(たいてい肉 or 魚+野菜+ジャガイモのプレート)を食べられるので、僕はかなり好き。有名どころでいえば、Schnitzel, Grillhaxe (grilled pork knuckle?), Eisbein, Gulasch, Wurstなどなど。もちろん店によって品ぞろえは違って(地域差もある)、色々な場所でBrauhausをめぐることで色々なドイツっぽい料理を食べることができる。

ちなみにGrillhaxeやEisbeinは(他のメニューでも)たいてい量が多いので、注文するときは一人前だと思わない方が無難。ムール貝の酒蒸しが、ムール貝の悪夢を見そうなくらい大量にポット(バケツ?)に入って出てきたのを見たことがある。長さ50cmくらいのソーセージのプレートが出てきて友達が絶望していた記憶もある。店に入ったら周りを見て、料理の量をつかむといいかもしれない。あきらめて残す人が多いので、ダメなときはあきらめても問題ない。

ちなみに、普通のレストランももちろんある。



これはミュンヘンで入ったレストラン。少し高級めで、年配の人も多いからか、Grilhaxe(豚すね肉?のオーブン焼き)もしんどくない量だった。割高という言い方もある。




これはベルリンのイタリアン、Da Vinci。


これはガヤガヤしている系。夜遅くに他の店が開いていなくて助けられることがあるが、僕の好みではないので、わざわざGoogle mapで探すことはない。街を歩いてみて他に店がなければ仕方がなく入る、という感じ。


フルサービスのレストランでは、入り口で立ち止まって、店員さんに席に案内されるのを待つのが無難。ただし気付かれない/放置されることも多いので、近くを人が通ったときにHallo(ハロー)などと声をかけて、待つ。「自分で席を探していいですか?」と聞くと手っ取り早い。当然だが「ダメ、待って」と言われたら素直に待つ。

店によってはテーブル案内担当のスタッフが決まっている場合があり、そういうときに他の役割の店員に席への案内を強要すると機嫌が悪くなりがち。「案内待ちですよ~」という雰囲気をガンガンに出しつつ待つ、というのがコツ。もちろんとてもフレンドリーな人も多くて、お店選び+スタッフおみくじで決まる。

Brauhaus / Bräureiでは、案内されるときに、ビールを飲むだけなのか、食事をするのか、聞かれることがある。入り口に近い、パッと出入りできるところに飲みメインの人向けのテーブルが設定されていることがある。

席に着いたあとも、基本は待ちの姿勢でいる方が無難。テーブルごとに担当が決まっていることが多いので、他のテーブルの担当に声をかけても「同僚に言って!」と言われて終わることがそれなりにある。大声をあげるのはよろしくない、という雰囲気なので、担当の店員の顔を覚えておいて、用事があるときは歩いている担当の人をじっと見つめて(もちろん軽く手を挙げてもよい)、気付いてもらえるのを待つ。もちろん担当が見当たらなければひとまず近くを通った人に声をかけるのだけど、「同僚!」とだけ言われて立ち去られても驚いてはいけない。

食事中に「Is everything alright?」みたいな感じで声をかけてくる人が多い。特に気にする必要はないので、問題がなければYesとか、もしよければ「美味しいよ」などと答えればよい。

フルサービスの場合は基本的にテーブル会計で、たいていの場合、それぞれの食べた分を別々に支払うことができる。テーブルで会計を頼むと、たいてい現金かカードか、そしてときどきまとめて払うか別々に払うかを聞かれる。フルサービスの店では(たいていは)チップを払う。僕は厳しいので、店に入ったときから嫌なことがあったらチップを減らしてやろう、という気持ちで見ている。でも普通は嫌な思いはしないので、10%を目安に端数を丸める形で払っている。支払うときにチップを含めて「○○ユーロにしてください」と頼めば、金額を変更してもらえることが多い。現金なら多めに払って「お釣りはいりません」という形もありだし、支払いをカードでピッタリにして、現金でチップを置いていく、というスタイルもある。ただし、どうやら観光客だとチップをあきらめられていることもあり、チップを残す余裕がなく会計が終了してしまうパターンもある。接客が悪かったときはチップを減らしたり、なくしてもよい。でも正直勇気は必要。


店の探し方ではないことばかり書いてしまった。朝ごはんを食べられるような場所と、スーパーもメモしておきたい。これは次の投稿にしよう。

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