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2019年を振り返る

2019年がもう終わってしまうらしい。
正直年が変わるという実感はほとんどないのだけれど、世の中の雰囲気に乗じて、僕も1年間の振り返りをすることにした。2019年にやったこと、それと読んだ本のリストアップは別の投稿(活動記録・読書記録)にわけて、もう少しフワッとした振り返りをしてみる。

2019年のキーワード6選

文章で振り返るのは大変なので、自分の2019年を語るのに大事だなあと思う単語・フレーズを6個探してみた。いや、正確には思いついたのが6個だった。笑

今年の漢字

キーワードに入る前に、僕にとっての「今年の漢字」は「拡」。というのも、興味関心・自分の知っていることがかなり拡がった一年だったから。

・2-3月くらい:
複雑系と社会心理学に興味を持っていた
・4-7月くらい:
複雑ネットワークに興味を持つ。あと金沢を旅行したときに、日本史・日本地理を知っておきたいと改めて思った
・8月くらい:
日本史と日本地理の勉強を真面目にやった。京都・奈良旅行もタイミングがよかった
・9月くらい:
Homo Deus(歴史学者が書いた)を読んで世界史も面白いなと思うようになった
生物物理の領域と出会って生物系の話もかじるようになった
・11月くらい:
津久井やまゆり園の事件から3年、みたいなテーマの講演会で熊谷先生と玉木さんのお話を聴いたところから「暴力」が気になり始めた

...こんな感じで、1年でかなり変化があった。1月後の自分は他人、と言っても過言ではなさそうですね。

つながり

今年に限らない気はするけれど「つながり」は僕の興味を表現する上で外せないキーワードでもあるし、生きる中ですごく大切にしているものでもある。秋学期には「つながり」をテーマにした大学の講義(朝日講座)も履修したり。

歴史

日本史を勉強して京都や奈良で古墳時代・飛鳥時代・奈良時代に思いを馳せて、佐倉の国立歴史民俗博物館を見て。歴史は人間の行動の記録としても有用だなと思うと同時に、死者とのつながりを切り口に歴史を見る死生学の考え方もなるほどと思い、客観的ではあり得ないことも痛感したり、とにかく奥深さを感じるような領域だと思った。

Replicator と「乗り物」

"The Selfish Gene"(『利己的な遺伝子』)で出てくる言葉。Replicatorってどう訳してるんだろうな。「乗り物」は"Survival Machine"のことなので本当は「生存機械」とかだろうけど、もう少し広く「乗り物」くらいの意味で捉えている。個と集団、みたいな階層性を考える上でReplicator(個)とその「乗り物」ってわかりやすい考え方だな、と思う。

暴力

僕は暴力がものすごくものすごく苦手で、血とか苦しみとか死の雰囲気だけで貧血になってしまう。だからこれまで暴力に興味を持とうなんて考えたことがなかったのだけど、人間の生活からできるだけ暴力を減らしたい、という想いは持っていることに気が付いた。貧血ギリギリのラインを攻めながら暴力についても学んでみています。

論理

人間や社会に興味があって、数学や物理より語学や公民の方が得意だったのになぜ自分が理科系で学んでいるのか、というのは自分の中でも大きな問だった。必然的に科学の根底に流れているであろう論理・理性について考えざるを得なかったけど、最近少しスッキリしつつあるように思える。

表現・歌

感性の側面。2019年はアカペラ関係の活動が多くあったし、多重録音も何度かやったし、合唱団にも入ってみたし、歌・音楽・表現についてもたくさん考えた。アカペラを始めて4年目だけど、やっとこんな風に歌いたい、これを歌いたい、みたいなことを感じるときが出てきた。この先音楽とどう関わっていくか、少し悩ましいけれど、2019年は間違いなく(自分の中で)音楽の年でもあった。

書きたいことはたくさんあるのだけれど、もう年が変わってしまうので、終わりにしなければならない。
最近は言語化をサボっているのだけど(周りの話が合う人とのおしゃべりはしている)、今は言語化するよりも勉強したり考えたりすることが優先だと思う。2020年の間にまた言語化したいフェーズが来るのか、それとももっと深みにはまっていくのか。どちらにせよ非常に楽しみです。
色々な人に感謝しながら、年越しそばを食べます。

令和元年12月31日(火)

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