スキップしてメイン コンテンツに移動

2019年の活動記録

2019年の自分の活動を振り返って、リストアップしておく。色々やったような、意外とやっていないような。

2019年にやったこと

1月

〇高崎へ日帰り旅行
-山田かまち美術館に行ったりした
〇トライリンガル・プログラム(TLP, ドイツ語)をやっと修了

2月

〇Goethe Zertifikat Deutsch B2を受験、ギリギリ合格した
〇何人かの大人に話を聴きに行った
-(社会)心理学は自分の関心と合わない、という気持ちが強くなった
〇『東大生がつくったブロックの世界』(Amazon)を出版
-出版準備の事務作業はとても面白かったが負荷の高いものだった。自分の中では、この出版が東大LEGO部での活動の1つの区切りになった

3月

〇TLPの冬季研修で18日間Köln(ドイツ)に行った
-EU域内留学生のドイツ語コースに混ぜてもらった。学生生活のこと、将来の不安、色々な話をしてすごく楽しかった
-(予想外に)朝夕がすべて自炊だった。これもすごく楽しかった

4月

〇本郷で3年生として勉強し始めた
〇UTalkのアシスタントを始めた
〇高校(母校)の授業に行って発表をした

5月

〇Afterglowで「上越アカペラステーション」に参加、そのあと金沢旅行をした
〇4回目の五月祭
〇高校の同級生が立ち上げた会社を手伝い始めた

6月

7月

〇介助が必要な友達と名古屋を旅行
-別行動の時間に熱田神宮と徳川美術館を周った
-介助者かつ友達、という立場の難しさも痛感した

8月

〇手伝っていた会社を辞めた
〇DO-IT Japanにボランティアとして参加(3回目)
〇日本地理・日本歴史その他、日本に関する教養みたいなものを勉強した
〇京都・奈良を旅行した(ブログ記事)
〇初めて「論文」を書いた(ブログ記事)
〇Audibleを使い始めた

9月

〇大学内のMDSデータサイエンスコンテストに学科の同期と参加、優秀賞を受賞
-HPに結果が公開されていない。なぜだ
〇母校(高校)の進路講演会で話をした(ブログ記事)
-研究会発表デビュー
-タイトルは『Twitter上の懸賞企画における捨てアカウントの特徴とそれを使うユーザの動機の考察』(8月の論文も同じ)
〇生物物理(呼び方は色々)という領域に出会った

10月

-まさに夢が叶ったという感じ。感激

11月

〇AfterglowとU-tonixで共催するライブ『SING』の準備を本格的にスタート
〇初めて坐禅会に参加した(ブログ記事)
-体を柔らかくしないと継続するのは難しいと判断した、でも良い経験だった
〇4回目の駒場祭

12月

〇Starbucks 本郷東大前店のミニライブにAfterglowで出演
〇高校の友達に誘われて入った合唱団の演奏会
-アカペラと違った「歌」を経験した。不慣れだったが、これはこれで好きだった

令和元年12月31日(火)

このブログの人気の投稿

Interpretation des Satzes "Lies dich glücklich!" ("Lies dich glücklich!"の意味)

Eine meiner Freunde hat mich gefragt, was der Satz "Lies dich glücklich!" bedeutet. Ich hatte sofort keine Ahnung davon. Später habe ich es im Wörterbuch und Internet nachgeschlagen, und jetzt denke ich, dass der Satz heißt, "Lies und mach dich glücklich (dadurch)!". Wenn Sie kennen, bitte zeigen Sie mir, was der Satz bedeutet! Es hilft mir sehr. 友達に"Lies dich glücklich!"というフレーズの意味を聞かれて、その場では答えられなかったのだが、気になって辞書やインターネットを調べてみた。"Kauf dich glücklich!"という表現も見つかった。sich(4) lesenという動詞はあるがsich kaufenは見つからなかったので不思議だなと思っていたが、少し経って、どうも"Mach dich glücklich!"に似ているような気がしてきた。これなら言えそうである。machenの部分をもじってkaufenやらlesenにして、「本を読んで幸せになろう!」と言っているのかな、と解釈した。 もし答えを知っている人がいたら教えてください。 令和2年10月29日(木)

なぜ社会は存在しないのか

―あらまし― 最近僕は「社会」を「世界中の人間を包摂してかつ各個人と相互作用するなにか」と定義していて、その存在を信じている人々が「社会人」だと思っている。残念ながら僕は社会人ではない、つまり「社会」の存在が信じられない。それは ①すべてを包摂する概念は認識できない ②「社会」は複雑すぎて個人と相互作用できない ように思えるからである。 台風や季節の変わり目だからか、調子が良くない。やるべきこと・やりたいことはいくらでもあるが、朝起きられない、不安で動悸がして何も手につかない、というわけであまり進まず。他人から見ると怠けているように見えるのだろう。 世の中の多くの人と自分の間で、感覚があまりにも違うように感じることが多い。当事者支援とか当事者研究関連のトピックに興味を持つのは、そういう「周囲」と「自分」のずれに共感するところがあるからだと思う。 ここ数ヶ月(もっと昔からかもしれないし、最近のことかもしれない)、自分が「社会」に属しきれていないという感覚を強く持つようになった。調子が悪くなるとこの感覚が頭(実は体も)をぐるぐるして、色々なことを考える。「社会」について考えることを書いてみることにする。 僕にとっての「社会」 ここで前提として言葉遣い 1) を明確にしよう。ただしこれだけでA4何ページか文章を書けそうだから深入りは避けます。 頻繁に登場する「社会」という言葉は結構厄介で、色々な使い方がある。しかも僕と同じ用法でこの言葉を使う人は多くないと思う 2) 。これがよく勘違いや噛み合わない議論のもとになる。さて、僕は 社会とは、世界中の人間を包摂してかつ各個人と相互作用するなにか だと思っている。それはシステムと言えるかもしれないし、場と言えるかもしれない。細かいところは人によって捉え方が違うだろうだけど、上の定義くらい抽象化すればある程度一般性があるのではないか。 ちなみに、似た使い方をする言葉として「 現代 」もあると思う。「現代」は ―ここでは時代区分の話をしてるわけではないことに注意― だいたい「社会」と似たものだと思う。ただ「現代」の方が時間的な領域感が強くて、それとの対比で「社会」は空間的な領域、という雰囲気が大きいのかなと思う。直近数十年が「現代」であるのに対して、太陽系内くらいの宇宙空間が「社会」...

「無批判的」であること

批判的世の中の居心地悪さ 世の中では「批判的思考」がもてはやされている。我々は学校でも職場でも批判的であることを求められる。私たち全員が十分に批判的な態度を身に着けている、と言うと色々な人に怒られそうだが、少なくとも僕が出会う人たちは、多かれ少なかれ「疑う」ことを知っていて、その意味で程度の差はあれ批判的だと感じる。 これは常に言われることだが、何においてもバランスが大切である。肉ばかり、野菜ばかり、米ばかりというのは良くないらしい。同じように、批判ばかりというのも居心地が悪いな、とよく感じる。生活する中では、批判的にならず、むしろ相手の言葉を文字通りに―いわば無批判に―受け容れることが大切なんじゃないかなあ、と感じる場面がたくさんある。というわけでここでは「無批判的であること」について、思うことを書いてみる。 批判的であること そもそも批判的ってどういうことなのだろう。 Wikipedia 『 批判的思考 』 (2020/11/27閲覧) には (1) 、「批判」という言葉の意味について、次のように書いてあった: 批判という言葉は反対する、受け入れない、などのイメージから否定や非難と同義で用いられるケースが存在するが、批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指し、客観的把握をベースとした正確な理解が必要である。 なるほど、僕の直観に照らして違和感のない記述なので、信用することにする (2) 。そして批判的思考とは あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法である とのことである (3) 。これを読んで初めて知ったが、批判的思考は問題解決のための思考方法らしい。 さて、ここで僕の中の違和感の正体があっけなく言語化されてしまった。 問題解決が目的ではない場面で批判的になるのはどうなの 、ということである。以上、話は終わり。...というのも悔しいから、批判的でないことについて少し考えてみる。 (1) こうやってすぐにWikipediaに頼る姿勢は批判的とは言えないのだろう (2) 信用と言うと少し語弊があるだろう。正しい情報として信用するのではなく、僕の感覚的な理解を言語的に表現したものとして適切だと認める、ということである (3) 「あらゆる」物事の、というのは引っかかるところである ...